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能登半島地震から1年 追悼の1日
NHK
| Januari 1, 2025
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能登半島地震の発災から一年を迎える今日、このような追悼の場を設けていただき、深く感謝申し上げます。遺族を代表し、ご挨拶を申し上げます。
私は穴水町で衣料品店を営んでおります。
この店は、曽祖父の代から130年以上にわたり、地域の皆様に支えられ続いてきた小さな店です。
この店は、曽祖父の代から130年以上にわたり、地域の皆様に支えられ続いてきた小さな店です。
4年前、先代の父から店を引き継ぎ、夫と共に二人三脚で切り盛りしてきました。
町の皆さんが気軽に立ち寄れる場所として、日々の暮らしを少しでも彩る店でありたいと、努力を重ねてきました。
町の皆さんが気軽に立ち寄れる場所として、日々の暮らしを少しでも彩る店でありたいと、努力を重ねてきました。
しかし、元日の地震は、その店を一瞬にして瓦礫の山へと変えました。
それだけではありません。
それだけではありません。
近くにあった実家も倒壊し、その瓦礫の中で、最愛の父を失いました。
仕事一筋で家族を支え、いつも優しい笑顔で見守ってくれた父。
その突然の出来事に、悲しみ、絶望感に打ちひしがれました。以来、ここで生活し、店を再建することはもう無理だ、と考えるようになりました。
仕事一筋で家族を支え、いつも優しい笑顔で見守ってくれた父。
その突然の出来事に、悲しみ、絶望感に打ちひしがれました。以来、ここで生活し、店を再建することはもう無理だ、と考えるようになりました。
また地震が来たらどうなるのか。
過疎が進むこの町で店を再開してもお客様に来ていただけるのだろうか。
過疎が進むこの町で店を再開してもお客様に来ていただけるのだろうか。
そうした不安が頭をよぎり、何より、父を亡くし、父が守り続けてきた大切な店を失った現実に、心が何度も折れそうになりました。
「もうここで終わりにしてもいいのかな」と、自分に言い聞かせ、あきらめる理由を探す毎日でした。
「もうここで終わりにしてもいいのかな」と、自分に言い聞かせ、あきらめる理由を探す毎日でした。
そんな中で、支えてくれたのは、地域の方々からの温かい言葉でした。
「あんた、大丈夫やったか、無理せんでいいよ」との言葉になぐさめられ、「まっとるからね」の言葉に背中を押されました。
「あんた、大丈夫やったか、無理せんでいいよ」との言葉になぐさめられ、「まっとるからね」の言葉に背中を押されました。
私たちの店は、この地域に支えられてここまで来ることができたんだと、少しずつ、前向きな気持ちになることができました。
そして、再建を決意し、現在、仮設商店街「あなみずスマイルマルシェ」で営業を再開しています。
そして、再建を決意し、現在、仮設商店街「あなみずスマイルマルシェ」で営業を再開しています。
半歩ずつですが、夫と共に、この店を守り抜き、地域の皆さんと共に歩んでいく。
それが亡くなった父への感謝であり、地域の皆さんへの恩返しであると考えています。
それが亡くなった父への感謝であり、地域の皆さんへの恩返しであると考えています。
最後に、これまで多くのご支援と励ましをいただいた皆様に心より感謝申し上げます。そして、この度の災害と豪雨でお亡くなりになられた方々のご冥福を心からお祈り申し上げ、能登の復興を願いながら、遺族代表の言葉とさせていただきます。
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