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地下鉄サリン事件から30年 被害者や遺族 教訓語り継ぐよう訴え
NHK
| 6 jam yang lalu
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浅川幸子さんは31歳の時、職場の研修に向かうため、たまたま乗り合わせた地下鉄丸ノ内線の車内で地下鉄サリン事件に巻き込まれ、脳の障害で全身にまひが残り、長い会話なども難しくなりました。
25年にわたる寝たきりの生活の末、5年前、サリン中毒による低酸素脳症のため56歳で亡くなりました。
長年介護してきた兄の浅川一雄さん(65)によりますと、幸子さんは、浅川さんの子どもにランドセルを買ってあげるなど、家族思いな妹だったといいます。
幸子さんが事件の前に書き綴った日記を今も大切に保管していますが、中身を見たことはありません。
浅川さんは「日記には楽しかったことだけでなく、悩みなども書かれている気がして、開くことはできません。でも、妹が生きていた証しや、妹が培ってきたものが詰まっている気がします。事件に遭わなければ、妹も結婚をしていたかもしれないし、子どもがいたかもしれない。全く違う人生があった」と丁寧に話していました。
妹の日課を引き継ぎ、病状が回復したときに読んでもらおうと、浅川さんは妻とともに、幸子さんへのメッセージを日記に書き残してきました。
ノート8冊分ほどに上るといいます。
病院を退院し、在宅での介護が始まる日には「幸ちゃんの第2の人生のスタート、後を見ずにこれからを生きていこう!オウムはゆるさないけど 恨み節の一生なんてやりきれない」と書きました。
浅川さんは「本当は妹が元気になって、私たちが記した内容を引き継いでくれればよかったのですが、それはかないませんでした。妹はごはんを人に食べさせてもらい、自分のやりたいことができず、思いを伝えることもできなくなった。つらく、悲しかったと思います」と話していました。
教団の後継団体が存続し、事件を知らない世代が増えるなか、浅川さんは記憶の風化への危機感があるといいます。
一雄さんは「同様の事件は起こりうる。後継団体の信者たちは地下鉄サリン事件は関係ないと考えているかもしれませんが、そうではない。きちんと見極める必要があると思います。事件を知らない若い人たちには、事件で亡くなった人や妹にどういうことが起きたのかを見つめてもらいたい」と話しています。
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